”障壁(ストレス)のない世界で人は育つのか。”

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全然、店舗ディスプレイとラッピングとは関係ない話。

私の恩師は、担任ではなく、高校の美術部の顧問です。

先生も担任を持っていましたが、私はそのクラスになることはなかったのです。

同級生たちと待ち合わせて退職した恩師に会いに行った時のこと。

高校の恩師にあって、たわいもない話をして。

たまたまいた方に、

「この子達がいた時が美術部が黄金期だったわ」

と紹介されました。

私たちのすぐ上の学年の部員はゼロで2つ上の部員が3人。

1人は美大を目指す女子で、後の2人は幽霊部員。

そこにひょっこり、私たち5人が集まったのです。

私の高校は、どちらかというと滑り止めに使われる学校で、入っても「第一志望に落ちたから仕方なく来た」というやさぐれた子が多かったのです。

私も本当は別な学校に行きたかったんだけど、中学まで強烈にイジメに遭っていたので、絶対にその子、いや、同じ中学の子と同じ高校に入りたくなかった。

ので、志望校のランクを落とし、うちの中学からは(たまたま)誰も行かないその高校を選んだのです。
(地元なので、毎年最低でも10数人はその高校を希望するのに、なぜかその年は私と他クラスの男子1人だけだった)

そんな高校で鬱々と過ごしていた中で唯一の楽しみが美術部。

それを語り出すと長くなるので割愛しますが(笑)

私たちはただ楽しくて。

1年の時に先輩3人、私たちの学年5人だったのを、翌年、勧誘しまくって20人以上の部員数にし、3年になる頃には30人弱まで。

自分たちが受験の頃は、お弁当は美術室で食べ、先生の授業の準備の手伝いをし、放課後、予備校の時間までデッサンをして、帰る…

そんな毎日でした。

「あの頃は、お弁当も美術室で食べて、授業の準備まで手伝ってくれて、美術部も盛り上がって楽しかったよね。黄金期だったね」

新卒で私たちの高校に入った先生、定年退職(正確には定年の一年前)までいたのに、20年以上前の私たちのことを覚えていてくれて黄金期って言ってくれて嬉しかったんですよね。
当時も高校について、部活は楽しかったけど、高校全体は楽しくなくて、中学は前述の通りでしたし。
中学の事もかなり大人になるまで絶対許せないと思ってたんですが、今は思い出す事もほとんどなく。
ただ、そのころしていた人間観察や物事を見る目、物事の本質を見極めようとする力はそこで養われたのかなーとも思いますし。
その時はキョーレツなストレスだったので、決してよかったとは思いませんが、生きてて良かった、とは思いますね。
ってなんだか何が書きたかったのかわからなくなったのですが、このブログにはすごく共感したということを付け加えておきます。

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